『くノ一物語』第二章 忍び働きの巻 四、罠

 霧の小十郎は、台所の床下にいた。
 夕刻、真由が現われなかったから、忍び込んだのである。
(今日は手が離せないのかも知れないな・・・)
 一瞬そう思ったが、顔も出せないとは? 小十郎はイヤな予感がした。
 真由が忙しい時には、紙片だけ渡して逃げるように離れていったこともある。
(あの距離だから、いくら忙しくてもそれ位は可能なはずだ)
 そう考えて、台所に忍び入ったのである。
「あの真由さんがねえ・・・」
「でも、本当に何かを探ろうとしていたのかしら?」
「真由さん仕事が丁寧だから、仕種を怪しまれたのかも知れないわ・・・」
「それにお局さまも、妬んでいたようだし・・・」
 女たちの仕事の合い間の雑談で、真由がのっぴきならない事態に陥ったことが判る。
 それでもまだ、間者であることが露見した訳ではないようだ。
 真由を強引に救出することは、不可能ではない。
 但し、強行すればこの仕事はここまでだ。決定的な事態となる。
 ここは真由にもう少し頑張ってもらうしかない。
 小十郎はそう判断して、黒鷹城を去っていった。
 真由は相変わらず、牢の中に放置されたままだった。
 外の様子こそ判らないが、もう日が暮れてから大分経つはずだ。
(自分は疑われている訳ではないのでは?)
 真由は静かな時間の流れの中で、そう考えてもみた。
 しかしあの残忍そうな弾正のことだ、娘一人の命など、何とも思わないだろう。
(疑わしいというだけで、処刑されてしまうかも知れない)
 真由は、最悪のことを考え始めた。自分は囚われの身なのだ。
(何とか脱出しなければ・・・)
 この牢さえ抜けられれば、何とかなる。
 外に出ればすぐ土塀があるが、それ程高い塀ではない。
 乗り越えさえすれば、その先は山であり、林に逃げ込める。
 真由は脱出の機会を探り始めた。
 しばらくすると、牢番の親爺が見廻りにやってきた。
「あっ、ああ・・・苦しい・・・、おじさん・・・」
「やっ? どうした、どうしたんだ?」
 人の好さそうな牢番が、格子に近寄って中を覗きこんだ。
「持病の癪が痛みだしたんです。ここを強く押してもらえませんか」
 真由はみぞおちを押さえながら、格子にもたれ掛かった。
「女の力ではあまり効かないんです。おじさんの力を貸してください」
「よし判った」
 牢番は左手を格子の中に入れて、真由の背中を下から支えるように抱えた。
 そして右手もみぞおちを押すために、格子の中へ入れた。
 初老の親爺にとって、若い娘の体に触れることなど、もう何年もなかったことだろう。
 案の定、真由の乳房の下あたりを、まさぐり始めた。
「あ、あの・・・、もっと下です」
 普段の真由なら、男の手を払いのけていたであろう。しかし時が時である。
 牢番は真由にうながされて、みぞおちに掌を当てた。
「もっと強く押してくださいませ。力いっぱい・・・」
「そうか? よし、それ! うーむ・・・」
 親爺が渾身の力を入れて押し、息を吐き尽くした時、真由のこぶしが突きを入れた。
 今、真由が押してもらっている所と同じ部位、みぞおちである。
 親爺はたまらず、息を詰めた。
「うっ? うーん・・・」
 真由は、牢番の腰に下げてある鍵を取り出し、牢の錠前を開けた。
 牢から抜け出した真由は、板戸から首だけ出して、外の様子を窺ってみる。
 誰もいない。
 真由は縁から、地面に跳び降りた。
 そして塀に向かうべく、縁側に沿って曲がった。
「!・・・」
 そこには、お恵の方が立っていた。
 黒装束の配下二人を従えて、待っていたのだ。
 真由は逆方向へ逃げようとしたが、そちらからも黒装束三人が現われた。
「やはり、くノ一だったわね」
 罠だったのだ、あの牢番は。
 真由はあっさり取り押さえられて、また、元の牢へ戻された。
 翌朝、弾正とお恵の方の前に、村瀬勘十郎が呼び寄せられた。
「勘十、あのくノ一、真由をどう致す?」
 弾正は真由の体に執着していた。それだけに複雑な心境だろう。
「はっ、くノ一ともなれば、責めても口を割りますまい。一応は取り調べますが、無駄骨となれば処刑致します。骸を晒してやった方が、相手の動きが判り易いと考えます」
 勘十郎も元々忍びだけに、忍びの思惑はある程度読める。
 順当な処置と思えるが、お恵の方が口を挟んだ。
「兄上、わたしに責めさせてもらえませぬか?」
「ん? それは構いませぬが、お方様もくノ一の責めが無駄なことは、よくご存知のはずですが」
「わたしに考えがあります。二、三日預けてくだされ」
「それならば、よしなに・・・」
 夕刻、弾正は酒を呑み始めていた。
 いつものように、そばにはお恵の方がついて、相手をしている。
「お館さま、真由にご執心だったようですけど、もう無理でございますよ」
「それは判っておる」
 弾正は不機嫌な表情になった。
 お恵の方に、下心を読まれていたことは判っていたが、図星を指されては面白くない。
 お恵の方にしても、弾正を不愉快にさせる為の発言ではない。
 充分に計算しているのだ。
「真由の責められている姿、ご覧に入れましょう」
 お恵の方の瞳が、妖しく光った。
「な、 何と?・・・」
 城主たる者が、間者の拷問に立ち会うことなど、まずない。
 拷問される者が美しい女であれば、その情景を見たいと思うのは、男の本能だろう。
 しかし城主の立場では、それは口にはできない。
 お恵の方も、その辺を充分に心得ている。
「真由は、お館さまをもたぶらかそうとした女です。お館さまに成り代わってわたくしが折檻してみせます」
 拷問蔵では、もう真由の拷問は始まっていた。
 真由は腰巻き一枚にされた身を、後ろ手に厳しく縛られうつ伏している。
 激しくムチ打たれた後だった。
 肩から背中にかけては、ミミズ腫れが走り、所々血が滲んでいる。
「しぶとい女じゃ、声も上げんとは。今度は容赦せぬぞ、石を抱かせてやれ」
 真由の体は引き起こされ、そろばん台の上に乗せられた。
 腰巻きの裾を捲られて、正座させられたスネには、責め山が食い込む。
 それでも真由は、呻き声一つあげず、歯をくいしばっている。
「その強がりもどこまで持つかな? 石を乗せろ」
 おもそうな平石を、雑兵二人掛かりで運んできた。
 その重石は、正座した真由の太腿の上に、当然のように下ろされる。
 その石の重さは、真由のスネが一番よく解る。
「うっ・・・」
 真由は小さく呻いたが、それでも弱音は吐かない。
 だが歪んだ表情と、後ろ手に括り合わされた手首の悶えが、その苦しみを証明している。
「どんな情報をどこに流したのじゃ。吐いてしまえ! どうせ白状することになるんだ。痛い思いは少ない方が身のためだぞ!」
 侍大将のような男が、声荒げた。
(こんな小娘ひとりくらい・・・) そう思っているのだろう。
 真由の脳裡には、幻舟斎の言葉が浮かんでいた。
(石になって耐えるのじゃ)
 重石は二枚目、三枚目と積まれていく。
(わたしは石なんだ・・・、石なのよ・・・)
 その思いだけが、真由の気力を支えていた。
 霧の小十郎は、蒼月城に戻っていた。
 黒鷹城内のいきさつを報告する為である。
 間者として送り込んだくノ一が発覚したことを、包み隠さず説明した。
 失敗を糊塗するような報告をすれば、今後の作戦に過ちを招くかも知れないからである。
「私が急がせたのが、間違いでした」
 小十郎は、自分の責任であると詫びた。
「もうよい、遅かれ早かれこうなることは予測していた。もう後へは引けぬ。それには機先を制すべく、すぐにも城攻めとなるであろう」
「それなら私にも、忍びとしての案がございますが」
「うむ? 申してみよ」
「はっ、小さな城とはいえ、まともに攻め入ろうとすれば、兵の消耗は少なくありません。ここは城からおびき出して、野戦とする方が得策かと・・・」
「うむ、我々もそう考えておる。何かよい手立てはあるのか?」
「我ら忍びの手で、城内に煙を充満させます」
「城内に忍び入り、火を掛けるのか?」
「いいえ、煙のみ使います。火を掛ければ、すぐに発見されてしまいます。
 煙だけでは火元が判らず、かえってあせりを誘います」
「その揚げ句、城を捨てて討つて出る、というのだな」
「城内が騒がしくなれば、火矢の一本も撃ち込んで頂ければ・・・。城の焼失よりも、敵と闘う方が先決となりましょう」
「うむ、解った。城内の処置は、その方らにまかせよう」
 その夜、蒼月城では主だった武将が集まり、軍議が開かれた。
 明日一日で兵力を整え、明後日城攻め決行、との結論である。
 軍議の結果は小十郎にも伝えられ、城攻めの一翼を担うことになった。
 翌日、小十郎は仲間を集め、黒鷹城めざして出発した。
 小十郎の他は、伍兵、土竜の源助、若者二名と総勢五人である。

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