真由が黒鷹城に上がってから、三日目を迎えていた。
もう真由の頭の中には、黒鷹城内の全容が入っている。
何せ小さな城である。 建家の中の間取りや、各種の蔵の場所など、覚えるのに造作もなかった。
女たちが日常働く場所は、主に台所である。
台所は城の一番奥、つまり山に面した方向にあり、広い土間には竃は勿論のこと、井戸も掘られてある。
台所から外へ出たら、すぐそばには食糧蔵がある。米や味噌などの保存の効く物が、多量に保管されており、戦さの時の兵糧としても大切な蔵である。
蔵の横手には塀に沿って、ツツジの植込みが造られていた。
花の大部分はもう枯れ落ちているが、まだ所々に赤色が点在している。
そのツツジの植込みのそばへ、真由がやってきた。
夕餉の仕度も整い、ちょうど手持ち無沙汰の時間帯であった。
(もうツツジも終わりなのね・・・)
真由の里では、赤い点在の分量はもっと多かった。
平地と比べ高台にあることを、ツツジの花の命が顕わしている。
「真由・・・」
近くから小十郎の声が聞こえ、真由はその声の出所を探した。
「真由、ツツジを見ておくんだ。小さく返事をするだけでよい」
小十郎がつなぎに入ってきているのだ。
心細かった真由の、心の裡に灯りが点った。
「何事もなく、うまくいっているようだな」
「はい」
「俺は三日毎にここに来るが、真由は無理をせずともよい」
「はい」
「何か耳にしたら、紙に記しておいてくれ。長話しは難しいからな」
「はい」
「しっ、誰か来る」
シーンとなった。すぐ侍女の一人が顔を出した。
「あら、真由さん、何をしているの?」
「ああ、ツツジを見ていました。もうここでも終わりなのですね」
「そうね・・・、淋しくなったんでしょう? 真由さん」
「・・・いいえ、そんなことはありません」
真由は強がっているようにみせた。
「さあ、そろそろお膳を運ぶころよ、行きましょう」
真由はうながされて去っていく。
確かに、長い時間をとるのは無理なようである。
仕込んだ情報は、紙にしたためておくことにした。
それから三日毎に、小十郎のつなぎは入った。
真由は小十郎に何かを伝えたくて、その都度紙片を渡した。
あまり参考にならないものも多いが、それでも手柄はあった。
その一つが手勢の数である。
主だった武将は、村瀬勘十郎を含め六名である。
それぞれに家来が十数名ずついて、総勢九十人前後とのこと。
戦さに臨む時は、農家の次、三男たちを雇うとのこと。
村は小さく、傭兵はせいぜい五、六十人といったところであろう。
つまり総勢でも、百五、六十が精一杯で、二百に達するひとはまず無い。
小十郎を通じての真由のこの情報は、蒼月城の重臣たちにとっても、大きな物であった。
もう一つの手柄は、武器についてである。
武器蔵の中のことは、真由の立場では探れない。
しかし、鉄砲が三十丁あることを、真由は掴んで報せた。
真由が侍溜りに白湯(さゆ)を運んでいった時、雑兵たちが鉄砲の手入れをしていた。
その時の話ぶりから、三十丁であることを掴んだのである。
この情報は大きな手柄だった。
当時の日本では、鉄砲の数が戦さの帰趨を決する、といっても過言ではない程、鉄砲という武器が威力を持ち始めていた。
蒼月城では、鉄砲は五十丁確保している。
兵力の数では、常時戦える侍の数が二百五十、傭兵(百姓)は百五十と、総勢四百人くらいの人数を揃えることができた。
波多野方に比べて、圧倒的に有利な状況である。
まともにぶつかり合えば、まず敗けることはない。
それにしても波多野程度の軍に、鉄砲が三十丁もあるとは以外だった。
問題は弾正がいつ、どんな形で戦さを仕掛けてくるか、である。
それに、黒鷹城がどこと盟約を結んでいるか、だった。
そのことも追って、真由から情報が入った。
黒鷹城では、蒼月城のことを「目の上の瘤」と呼んでいるとのこと。
「そうであろう、波多野にすればここ(蒼月城)を突き破らねば、中央(京)に顔を向けることはできぬからな」
どこと盟約を結んでいるかまでの情報はないが、地形的にみても大よその察しはつく。
蒼月城方では、機先を制すべき意見が、大勢を占め始めた。
波多野方がどこと盟約を結んでいるのか? どの位の結びつきなのか?
これは、やはり判っていた方がよい。
その旨は、小十郎の言葉からも真由にうかがえた。
都合のよいことに、真由は弾正の部屋の片付けを、任されるようになっていた。
通常新参者は、水仕事とか、体力のいるきつい仕事ばかりやらされるのがオチである。
当然、侍女頭は不満である。 しかしそれも弾正の肝煎りとあれば仕方がない。
おそらく弾正には、下心があるに違いない。
ともあれ、真由が弾正の部屋へ自由に出入りすることに、支障はない。
弾正の机の上や戸袋の中には、いくつかの文箱(ふばこ)がある。
(あの文箱の中には・・・)
真由は前々から気になっていたのだが、決心がついた。
探りらしい仕事をするのは、初めてである。
真由は、小十郎や幻舟斎に喜んでもらいたい一心だった。
机の上の文箱の紐に手を掛けた。
紐を解き蓋を開けた。 中には二通、書状が入っている。
真由が書状を読もうとした時、後ろから声が掛かった。
「何をしている?」
真由の背は凍りついた。
侍女頭の女だった。真由を見張っていたのだ。
それは、真由を疑っていたというより、落ち度を見つけんが為だった。
それでもこの場面を目撃しては、見過ごす訳にはいかない。
「あ、あの、文箱の紐が解けそうになっていましたから・・・」
「蓋まで開ける必要はあるまいに」
「そ、それは・・・」
真由は咄嗟のことで、良い答えが浮かばなかった。
「誰か! 誰かおりませぬか!」
女は廊下に出て、呼び声をあげた。
すぐに若党が駆けつけた。そして他の侍女たちも集まってくる。
「この者が怪しい振る舞いをしておる。取り押さえて下され」
若党は刀の下げ緒を外し、真由の腕を掴んだ。
「あれ、何をなさいます、わたしは何も・・・」
真由は小さく抵抗したが、あまり逆らわなかった。
ここはまだ、弱々しい女でなければならない。
真由の両腕は後ろに回され、手首だけ括りつけられた。
「お方さまに報告して、後で取り調べます。牢に入れておくように」
真由は縄尻を取られ、廊下を引き立てられていく。
牢は城の端の、日当たりの悪い所にあった。
元々納戸だったのだろう、板戸を開けると板の間になっていて、横手に格子のついた部屋がある。格子の中は三畳くらいの広さで、並んでもう一つ同じ牢がある。
真由は奥の牢に入れられ、施錠されてからは一人取り残された。
疑われたといっても、まだ間者であることを覚られたのではない。あくまで百姓娘の興味本位が引き起こした、出来心と思わせねばならない。
その先がどうなるかは解らないが・・・。
(小十郎さまは、どうされているかしら)
今日は小十郎がつなぎに入る日であった。
もう日も暮れるころなのに、牢には誰もやってこない。
夕刻で忙しいからだろうか?
時々、牢番のような初老の男が、見廻りに来るだけだった。
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