『くノ一物語』淫虐修行の巻 一、忍びの里

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 人里離れた山の、そのまた山奥に真由の住んでいる集落がある。
 集落といっても、二十戸程の家が点在しているだけであるが・・・。
 遥か山頂から湧き出した水がせせらぎとなり、そのせせらぎを集めた清流が、真由たちの里を通っている。
 険しい山肌をえぐって流れる急流は、所々澱みをつくって、静かなたたずまいを見せる。その澱みは、土砂が堆積したのであろう、川岸が砂地になっている所がある。
 真由はひとり岩に座って、脚を水に浸していた。
 着物の裾をまくり、腿の半ばまでたくし上げて清流に浸すと、野良仕事の疲れも一ぺんに吹き飛ぶ。砂地の上には、今日収穫した大根や茄子が洗われて、背負い籠の中一杯に入れ置かれてある。
 この腰掛けている岩は、真由お気に入りの指定席であった。
 十七歳になった真由は、自分の行く末のことを、最近考えるようになっている。
 真由の嫁入りや婿取りの話題が、真由の耳にも入ってくるのだ。(わたしもこの里に育ったからには、一度仕事がしてみたい・・・)
 真由がボンヤリと水面(みなも)を見つめている時だった。
「真由、やっぱりここだったな」
 聞き覚えのある声に、真由は振り向いた。
「まあ、小十郎さま、いつお戻りに?」
 真由はあわてて着物の裾を下ろし、立ち上がった。たくし上げていた腿を見られたせいか、真由の顔は少し赤らんでいる。
「今日の昼過ぎさ。その足ですぐに幻舟斎先生の所に挨拶に行ってたんだ」
「まあ、そうでしたか。で、今度はゆっくりできるのですか?」
 真顔で真由は聞いた。
「うむ、予定は今の所ないそうだ。だが我々の仕事は急に入るからなあ」
 真由の顔がパッと明るくなり、花のような笑顔を見せた。
「よかった。おいしい物作ってあげようと思ってたんだ」
「そりゃあ楽しみだな。あっ、そうそう幻舟斎先生が真由を呼んでいた」
「えっ、お師匠さまが?」
 真由があわてて背負い籠を掴む。
「そんなに急がなくてもいい。仕事が済んでからで良いそうだ」
 小十郎も、のんびりしたい様子である。
「これは俺が持とう」
 うなづく真由から、籠を取り上げて小十郎が背負う。
「さあ、戻ろうか」
 小十郎は真由の手を引いて歩きだす。
 背負い籠を背負って通りなれている坂道くらい、何でもない真由であったが、小十郎に手を引いてもらうことが嬉しかった。
 この小十郎という男、赤子の時に拾われて、この里で育てられた男である。
 忍びの里ではよくあることで、珍しくはない。当然、小十郎は両親の顔も、自分の本当の氏素姓も知らない。
 ところが、小十郎に素質があったのだろう、長ずるにつれて、めきめきと頭角を表し今では、重要な任務には欠かせない存在となっていた。
 霧の時に、幻惑させる術を最も得意とする。霧だけに限らず、雨に煙る時や夜陰に乗じることも、勿論巧みである。
 仲間うちからいつしか「霧の小十郎」と呼ばれるようになっていた。
「お師匠さま、お呼びでございましょうか?」
「真由か、まあ入れ」
 開け放たれた部屋の中から、戸田幻舟斎の返事があった。
 障子の陰の濡れ縁に座っていた真由は、腰を上げ、部屋の中に入っていく。
 書状でも書いていたのであろうか、幻舟斎は文机の上に筆を置いて、真由を見つめる。
「そなたも、もう一人前じゃな。いつ、子を産んでもおかしくない体つきに なったものじゃ」
 幻舟斎のからかい気味な言葉に、真由は顔を赤らめる。
「まあ、そんな・・・、それよりも真由は、お役目につきとうございます」
「うむ、そこじゃ。忍び働きといっても、くノ一は充分に女になってなければ務まらぬからのう」
「えっ、それでは、わたしにも仕事が!」
 真由の瞳がパッと輝いた。
「今度の仕事では、女子が重要な役割を果たすことになる」
「そのお役目をわたしが?」
 真由は気が引き締まる思いになっている。
「うむ、女子の場合、敵の懐深く入り込むことになる。危険は大きいぞ」
「はい、元より覚悟の上にございます」
「だが、心意気だけでは駄目じゃ。むしろ任務のことなど忘れて、おっとりとしている位で丁度良い」
 気負い立つ真由に、幻舟斎は水を差すようなことを言う。
「敵の方でも、常に間者のことには気を配っておる。しばらくは役目を棄てて相手方に溶け込むことが肝要ということじゃ」
 真由も気になる所である。何しろ真由は、この里以外のことは何も知らない。
「何、初めて城勤めに上がる百姓娘は皆同じじゃ」
「はい」
「時には百姓言葉をつかって、いかにも粗相をしたように見せかける演技も必要じゃ」
 真由も納得したのだろう、うなづいている。
「その期間が、長ければ長い程良いのじゃが、そうもいくまい。一月位だな」
「はい」
 くノ一とは「女を使った戦術」であり、必ずしも女忍者を表すのではない。
 ただ、間者となって敵方に潜入している女を、代名詞として「くノ一」と呼ぶこともある。忍びの中での女の仕事は、諜報活動のみといってもよい。
 そのことは真由も充分に心得ている。
「問題は、発覚した時のことじゃ」
 真剣な眼差しの真由に、なおも幻舟斎は話しかける。
「少しでも不審な所があれば、すぐに捕らえられて、責めにかけられることになる」
 ハッとする真由。確かに「発覚する」ということなど、考えてもいなかった。
「間者であると確信を持たれていなければ、あくまで、知らぬ存ぜぬをつらぬき通すのじゃ」
「はい、もし間者であることが覚られていた時は?」
「その時は、一切口をつぐむこと。悲鳴すらあげてはならぬ」
「?・・・」
「忍びへの責めは厳しい。厳しいだけではなく、罠をも仕掛けてくる」
 純真な真由には、それがどういうことか良く解らない。
「責められて意識もうろうとなった時に、幻覚の術を掛けられることもある」
「・・・」
「始めから言葉は口にせず、石になって耐え忍べということじゃ」
「はい」
「とは言っても、その責めがどんなものか知らなければ、耐えようもないであろう?」
「はい、忍びへの責めとは、どのようなものでございますか?」
 幻舟斎の眼がキラリと光って真由を見つめた。
「その責めを知るには、一度味わってみることじゃ」
 今度は真由が幻舟斎を見つめ、そして、すぐに俯いてしまった。
「拷問は、訓練すれば耐えられるようになる、というものではない。しかし、その加減さえも知らなければ、強い意志を発揮することはできぬ」
「・・・」
「拷問を体験することが、真由の最後の修行ということになる。よいか?」
「はい」
「あらゆる拷問を、三度にわたって真由に課す。体力の回復をみながら責めるので、約一カ月かかる」
「えっ、一カ月も!」
「うむ、責め方にも色々あるからじゃ。明後日よりとりかかる。そなたの両親には”最後の修行”と言えば解るはずじゃ」

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