『くノ一物語』第二章 忍び働きの巻 九、磔刑

📂投稿グループ📎タグ

 お恵の方が広っぱに運び込まれてから、四半刻(30分)が過ぎていた。
 処刑の準備が始められていく。休息というには、あまりにも短い時間であった。
 元よりお恵の方には、休息などない。引き廻しに同行している役人たちが、一息入れるための休憩である。
 磔柱を立てる石台は、奥の方に造られてある。
 地肌が剥き出しの崖に、今日の磔柱が斜めに立て掛けられていた。
 キの字柱である。大の字に架けられるのであろう。
 雑兵たちが磔柱に手を掛けて、地面に横たえた。
「せめて、脚を閉じてやることはできませぬか?」
 真由は指揮官に、そっと声をかけた。
 同じ女として、無残な最期をとげる惨めさを、少しでも取り除いてやりたいのだろう。
 しかし、返答は冷たいものだった。
「それはならぬ。落城方の処刑は、大の字磔と決まっておる。それは女とて同じこと。何しろ見せしめじゃからのう」
 指揮官は教え諭すように、静かに言った。
 居丈高な物言いでないのは、真由の功績を認めているからである。
 真由の心情を汲んでやる気持ちがあるのだろう。
 落城の度に処刑がある訳ではない。
 磔の場合、何か意図的な含みを持った見せしめの形になることは、仕方がないのである。
 そんな二人のやり取りを、お恵の方は静かに聞いていた。
 もう歩くこともできないお恵の方は、雑兵たちに担がれて、磔柱の上に運ばれた。
 縄を解かれても、すぐに磔柱に縛りつけられていく。
 お恵の方を架けた磔柱が、垂直に立てられた。
 胸はタスキ掛け、両手両脚を精一杯拡げた大の字磔である。両足のつま先は、手の指と同じ位置にまで張り拡げられて、真っ白い大の字が晒されている。
 大の字の枝分かれした部分にだけ黒い点があり、そのすぐ下が赤黒くなっているのは、こびりついた血の跡であろう。戦国の女の哀れさが滲み出ていた。
 竹筒のハミは外されていたが、お恵の方にはもう、舌を噛み切る気力も失せているに違いない。
 そのまま四半刻が過ぎた。
「処刑をはじめい!」
 指揮官の合図と共に、槍を持った三人の武将が、磔柱に近づいていく。
 三人は横一列に並んで、それぞれの槍をお恵の方の顔に向けた。
 ハッとして槍の穂先を見つめるお恵の方。
 それでも、もう諦めているからか、静かに顔をそむけるだけだった。
 三本の槍は何度か、顔の前で打ち当てられた。
 カチャン、カチャン。
 三本の穂先が、下へ降ろされたと見えたらすぐに、真ん中の槍が突き入れられた。
 大の字に枝分かれした所、股間にえぐり込まれた。
「ぎゃあーっ・・・・!」
 怪鳥のような悲鳴が、広っぱ全体に響き渡っていく。
 お恵の方の体のどこに、そんな力が残っていたのかという程、全身を痙攣させて暴れ悶えている。
 それでも、もう逃れる術はない。
 槍が抜かれると、血が流れ出した。流れた血は、磔柱を真っ赤に染めていく。
 すぐに二の槍が左から突きを入れる。乳の下当たりから、肩先へ突き抜ける。
 それから三の槍。左の乳房の下から肩先へ突き抜けた時、絶命したのかガックリとお恵の方の首が垂れた。おそらく心の臓を貫いたのだろう。
 通常の磔では、心の臓を避けて何度も突く。
 今回の武将の槍は、未熟だったのだろう。
 だがお恵の方にとって、その方が良かった。苦しみが少なくてすむ。
 左右の槍は交互に五回ずつ突かれ、最後のとどめの槍が、股間に突き入れられても、お恵の方の体は何の反応も示さなかった。
 血みどろの女体を磔柱に残したまま、処刑は終わった。
 お恵の方は晒されたまま、半刻(一時間)が経過した。
「何事も起こらなかったか。よし、引き上げじゃ!」
 指揮官の合図に、同行者たちは皆一斉に、帰り仕度を始める。
 そして一向は行列をなして、来た道を静かに引き上げていった。
 当然のように、磔柱はそのままである。
 静寂が戻った広っぱには、真由ひとりが残っていた。乗ってきた馬と台車と共に。
 沈みきっている真由のそばに、どこからか小十郎が現われ声を掛けた。
「真由、我らの手で葬ってやろう」
「えっ?」
「なあに、見て見ぬふりをしてくれるさ。さあ」
 処刑を終えた磔柱は、そのまま野晒しにされるのが通例である。
 小十郎と真由は苦心して磔柱を抜き、お恵の方の体を解放した。
 その磔柱を引きずって、台車に乗せかける。
「真由、これは燃やそう。俺は林の裏側に墓穴を掘ってくる。お前が火をかけてくれ」
 小十郎は懐の火筒(ほづつ)を、真由に渡して去っていく。
 真由は小枝と枯れ草を集め、磔柱の下に置き、火をつけた。
 始めは小さな炎も、だんだん強くなり、大きな木も燃え始めた。
「真由、掘ってきたぞ。埋葬してやろう」
 小十郎が戻ってきて、お恵の方の骸(むくろ)を抱き上げた。
 墓穴は、山の反対側に向かう所に掘ってあった。
「ここなら、誰も来ないだろう」
 穴の横には、墓標となる木も置かれてある。
 お恵の方のなきがらを地中深く埋め、土をかぶせた後、小十郎は墓標を真由に示した。
 太い丸太の表皮が、削り取ってある。
「さあ」
 小十郎は矢立を取り出し、真由に渡した。
 真由はしばらく考えていたが、墓標に銘を書きこんだ。
    「めぐみの墓」
 ただそれだけの文字だった。
 この方が知らない人には判らない。それに「側室、お恵の方」としてではなく「市井の女、めぐみ」として、葬ってやりたい気持ちもあった。
 墓前には線香はない。真由は花を飾ってやった。早咲きの彼岸花だった。
 二人が広っぱに戻ると、磔柱はもう燃え尽きていた。
 少し燻っている燃えがらに、土をかけて後始末をする。何事もなかったように。
「さあ、それでは俺たちも戻ろうか」
「はい、何も起きませんでしたね」
 二人は馬を挽きながら広っぱを出て、坂道を下っていく。
 だが、この一部始終を見ていた男がいた。
 刑場の奥の林の中に、一人潜んでいたのはお恵の方の実の兄、村瀬勘十郎であった。
 妹を助けてやることもできず、「せめて埋葬だけでも」と思っていたのだろう。
 勘十郎は、去っていく二人の後ろ姿に、そっと頭を下げていた。
 小十郎と真由は、坂を下りきり平地に出た。
「真由、馬に乗れ。俺が挽いてやる」
「えっ? でも・・・」
「遠慮するな、その方が気分も落ちつく」
 小十郎は、真由の体を馬の上に押し上げた。
 真由は両脚を揃えて、チョコンと打ち乗り(横乗り)になった。
「何だ、その乗り方は」
「だって・・・」
 今日はいつもの着物姿ではないのだか、二人きりだとやはり跨るのは羞ずかしいのだろう。
 普段の陽気な真由なら、ここで照れ隠しに饒舌になるのだが、今は口数も少なく表情も硬い。
 心なしか哀しげな表情であった。
 小十郎がふり返ると、夕暮れが、今降りてきた山を浮かび上がらせ、茜色が空一面を染めていた。
(真由には、この仕事は無理なのかも・・・)
 小十郎は何も語らず、静かに進んでいく。
 長く延びた自分たちの影を、踏みしめるように。
 トボトボと・・・。

第二章、終
LINEで送る
Pocket